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「いじめと現代社会」 「いじめの社会理論」 内藤朝雄 著

内藤朝雄氏は「ニートって言うな!」の著者でもあります。                  まず「いじめと現代社会」(2007年2月発行)について。この本は大変読みやすいです。1章では本田由紀氏との対談、5章は宮台真司氏との対談になっています。4章は国家について述べています。


                              

「はじめに」で書かれているのは、社会には二つのタイプがあるということです。他人の振る舞いや態度をつつく人に満ちた社会(「教えて治に至る」タイプの社会)と、そうでない寛容な社会(リベラルなタイプの社会)です。前者では特定の善い生き方を他人に押しつける社会で、人の目を気にして生きなければならない精神的な売春に満ちた社会です。リベラルな社会では、必ずしも共感し合えたり理解し合えたりできるとは限らない十人十色の「善い生き方」が不透明に奥行深く分布します。生活の質(QOL)を高めるためには、こういった右でも左でもないリベラリストの独立勢力が増すことが必要なようです。


1章では暴力系のいじめとコミュニケーション操作系のいじめがあるという話がされます。男子では暴力系のいじめが多く、女子ではコミュニケーション操作系が多いということで、暴力については告訴といったような方法で、コミュニケーション系については学級制度を廃止するといった方法で、「他の人と親しくすればよい」というような閉域を開く方法が提案されています。本田氏は最近、若者の間でコミュニケーション系の圧力の結果、「場の空気を読めないヤツ」といった言い方が出てきているといいます。また「勉強はわけのわからないことに慣れる練習だ」といったような、若者を不条理や矛盾に耐えさせる言説を憂慮しています。内藤氏は親が親であることを忘れて「教育」に欲情すると、子どもは親を失って教育施設の孤児になると言います。教育は「望ましい(とされる)チャンス空間の提供」であるべきだといいます。ベタベタした「教育」ではなく、学校は単に能力の養成の場ということなのでしょうね。


2章では社会をあげての、青少年ネガティブキャンペーンが張られていると言います。「犯罪の増加」「ニート」といったものがそれです。また右派と左派それぞれが、個々の論点を論じるのではなく、すべての論点を抱き合わせセットにしてしまっているといいます。例えば左派の人権擁護弁護士が山口の母子殺人事件で容疑者の死刑を免れさせた時にガッツポーズを取って、人権の何たるかという基本を外してしまったと言います。また、それを右派は利用して人々を煽ろうとすると。内藤氏は人間の尊厳や人権をすべての基本として考えるべきであって、理念的には死刑に賛成だが技術論的には反対なので、終身刑をつくるべきだと唱えます。


3章では2章にもかなり通ずるところがあるのですが、社会が、そして大人が青少年に対してネガティブなイメージを持ってきている。その一例が、より厳しくなった地方自治体の「青少年条例」に見られるといいます。むしろ現代の青少年は優しく穏やかになってきているのにもかかわらず。戦後日本では、国家というよりも学校や会社といった中間集団共同体に全体主義の座が移動したと著者は述べます。右翼も左翼も自分達が主張するものを理想化し、異なるきずなを生きる人々を本来の姿から外れていると批判し、本来の人間の姿を取り戻すための社会変革を目指すという、まさに「地獄への道」は善意に敷きつめられているというわけです。著者は一人ひとりが自分の最適な姿を求めて生きるようなきずなユニットのチャンスに恵まれた社会こそ、自由な社会だと考えます。


4章は少し長いのですが、現在の日本の社会の右傾化傾向への危惧を書いています。人権、自由、平等といった西洋の価値を価値下げして、日本らしい文化を入れようとする動きを懸念しています。著者は国家を一人一人の人間の共存と福祉のための公共財である機械装置と考えています。それに対して国家を一人一人の人間の生命を超えた、より高次の集合的生命とする国家観があり、それは時に人を狂わせる興奮剤になってしまうといいます。普遍的なヒューマニズムという超越性に準拠した社会秩序がメイン秩序として有効に作動し続けることが、先進国には絶対必要な機能要件と著者は考えます。「なぜ人を殺してはならないか」に理由があることこそ怖いことなのです。「友か敵か」「愛する者か、憎む者か、無関心な者か」といった原自然感情を超えた普遍的な超越性に準拠した社会秩序がメイン秩序として有効に作動し続けることが先進国には絶対的に必要な機能要件である、とも語っています。


最終章である5章は宮台真司との対談になっています。ここでは様々な社会事象、とりわけ人間関係について議論が交わされます。しかし、二人に共通して感じられるのは、自由闊達さです。精神的売春を強いる社会に抗うという点では非常に似ています。そして二人は「永遠に暫定性の地平で踏みとどまるタフさが倫理的に大切である」ことに共感します。「不完全な社会」がダメなのではなく「不完全さに耐えられない社会」がダメだということなのです。


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さて、いじめについては、もう一冊の本「いじめの社会理論」(2001年7月発行)で詳しく分析されています。また近いうちにレジメを書いてみます。


(最近、学校訪問で忙しくしています。近日中に書きたいとは思っているのですが・・・)

テーマ:いじめ
ジャンル:学校・教育
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