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「学歴社会の法則」 荒井一博 著

今年12月20日に刊行された新書(文字通りの新書で、かつ新書版)です。新聞の下の方の広告に載っており、興味をひかれたので買ってみました。

著者は一橋大学で教鞭をとっており、教育経済学という分野の本です。7章と教育実践編の8つから成っています。教育経済学は教育という分野に限ったミクロ経済学ということですが、社会学や経済学という学問は、ミクロといえども社会の大きな流れを掴むものであり、ミクロの中のミクロである個々の家庭については必ずしも当てはまらないとは思います。しかしながら、傾向を掴むには有益なものでしょう。また人は経済を基準に学校選択や人生選択をしているのか、学歴というものが社会生活でそれほど重要なのか、といった点にも疑問はありますが、教育も経済を抜きにして語れないというのも真実でしょう。もちろんこの本では教育というものを経済学の観点から検討しようというものであり、経済的成功を云々するものではありません。

第1章では人的資本論に基づき、なぜ高学歴者は高所得を得るのかという説明がなされています。高い大学教育が人々に知識や技能を授け、また思考力・分析力・応用力・判断力を培い、そのことで社会に技術革新をもたらしたり、集団や組織を適切に統率したりなどすることで社会に大きな貢献をし、その結果、高所得を得るという考え方です。しかしながら大学へ通うことで、働くことによって得られたはずの所得を放棄しており、教育投資の費用に対する収益(私的収益と社会的収益)の観点から、過剰でもなく過少でもない最適投資量があるだろうということです。

しかし高学歴者が必ずしも有能ではないのに、社会的に高いポジションを得ているという現実も時に見ます。その説明として第2章では学歴のシグナリング理論の説明がなされています。人がどれだけの能力を持つのかを簡単に測ることはできません。しかしながら学歴は見えやすく、その能力をはかるシグナルと人々は考えているという理論です。大学へ行くためにもともと理解力のある生徒は高い費用をかけずとも大学へ行けます。それを教育費用が低いとよび、「教育費用が低い人は、社会で高い生産性を発揮する」という信念に基づいており、これは多くの人々の直観でもあるのです。大学は高い能力を育てる力がなくても、そのシグナルとして有効に働くという理論です。しかし資本市場は不完全であり、貧乏であれば働きながら学ぶということになり、教育費用は高いものになってしまいます。学歴は富裕度を示すシグナルにもなるのです。

実際には教育は人的資本論とシグナリング論の両方の機能が含まれています。義務教育や理系教育には人的資本論がより当てはまると言えるそうです。シグナリング理論は社会の思い込みに左右されるようです。こういった理論から、著者は奨学金制度の整備や、学閥などのシグナリング理論の弊害を克服すべきだと説いています。

第3章は父親と母親のどちらの学歴が子どもの学歴を左右するのか、また働く母親と専業主婦のどちらが子どもの学歴を上げるのか、ということについて語られている興味深い章です。一般的に親の学歴が高いほど子どもは高学歴になります。遺伝の問題もありますが、教育環境や情報量の違いも影響するようです。ですから国家が適切な施策をしないと、教育を通して階層の固定化が進み、所得格差が増大するだろうと著者は言います。父親と母親の学歴と子供の学歴の関係ですが、母親の学歴がより子供の学歴に影響するという結果が研究から出ているそうです。なおかつ同性の親の影響が強いという傾向が見られるとのことです。母親の影響ですが、やはり接触時間の長さなどでより影響が大になるのでしょう。小さい頃からの母親の関わりを見逃すことはできないようです。そういう意味で女性の高学歴は社会に貢献していると言えるでしょう。しかしながら経済発展が進むにつれ、母親の学歴効果は薄れます。それは女性の就業機会の増加や、教育市場を使って教育を行うという結果だそうです。母親が就業することによって子どもの能力は下がるのか、という問題ですが、母親の所得を何に使うかということも問題になってきます。しかしながら、子どもがごく小さい頃に与える教育効果はかなり大きいということで、母親の休業制度の充実や質の高い託児サービスが働く母親には不可欠だと著者は述べています。

次の第4章から第7章については、現在検討されている教育改革について、さまざまな研究結果と著者の見解が述べられています。                                              第4章では、学校選択制とバウチャー制について語られています。学校選択については、進学実績という一元的な基準で学校を選択する父母が多いと考えられ、生徒数に偏りが生じ、人気校には多大の施設や人員の配置のためにお金がかかり、また少人数校は廃校といった結果も出てくるかもしれない。また地域との繋がりも薄れるだろう。そういった費用対効果を考えると、あまり有効な手段ではないだろうということです。バウチャー制度についても、私学に有利になるだけで制約の多い公立にとっては有効に働かないであろうということです。米国・チリ・ニュージーランドなどバウチャー制度を行っているところの調査からも費用の割に効果は低いという結果が出ているそうです。ただ有効なのは高い能力がありながら、親の経済力のために良質の教育を受けられない生徒に対してであるけれど、そうすると高い能力の生徒が抜けた公立校の水準が低下するだろうということです。いじめなどについては、ある程度の学校選択ができる制度は必要だろうと著者は認めています。

第5章では英語教育について語られています。日本人にとって英語は投資のわりに力がつかない語学だそうです。著者自身も英語についてはかなり努力したそうですが、まだまだネイティブの力には程遠いと感じているそうです。日本人が時間的にも経済的にも英語に多大な投資をするなら、それをもっと違った方向に向けた方が良いのではないだろうか、と語っています。もちろん必要のある人は投資を惜しむべきではないのですが。そういったことを踏まえたうえで、日本の英語教育の改善法が最終章で述べられます。

第6章では、いじめを経済学的に分析します。いじめは西欧でも、また職場でも広く見られる行為です。職場でのいじめは一部の組織成員の利益を高めたり、標的を弱体化させるために陰謀という形で行われることが多いそうですが、学校では単なる嘲弄の面白さ、ストレス発散、自己の優位性誇示のために行われるということです。また日本では集団対個人ということが多く、欧米では個人対個人の傾向があるそうです。いじめの予防や根絶には、生徒のインフォーマルネットワークを監視する必要があると述べられています。いじめは被害者、加害者とその取り巻き、そして傍観者によって成立します。そこに介入する生徒、もしくは教師や親が必要なのですが、加害者は不正を暴くような生徒をネットワークに参加させず、また教師や親など部外者は気付いていないという状況の中で進行します。いじめを根絶するためには、このネットワークに参加することがいかに倫理にもとることかを繰り返し説き、参加することで人間としての評価が下がるという、便益の著しい低下を自覚させるのが有効だそうです。するとネットワークの結束力は低下します。それとともに良い人間関係を築く積極的な雰囲気作りも大切だそうです。

第7章では、学級規模について検討されます。まず不適格教員排除についての動きですが、問題教師は確かに存在するものの、学級崩壊などについては生徒の勉学意欲や公徳心の方の問題の方が大きいだろうということです。学校には、真摯な努力、他者に対する配慮、きびきびとした立ち居振る舞い、凛とした雰囲気という文化が必要だと説きます。その上で授業内容の体系性が求められます。決まっている授業内容を正しく教え、生徒の質問に答えることが授業の最低限度の目標となります。教師の給与の増大とともに、マスコミによる教師叩きの自粛も必要だということです。                                                                                       次に少人数教育について述べられています。著者の知見によると少人数教育の教育効果は費用のわりには高い結果が出ているとは言えないそうです。それよりも教師の質を高めることのほうが効果が大きいそうです。また同じ能力の生徒が集まることによるピア効果は大きいそうですが、小学校では学力の最大化よりも厚生の最大化や、連帯性を重視することが大切で、能力別クラスの編成には慎重であるべきだということです。

最終章では経済的収益率をアップする学習の提案が行われます。                                                                           著者は年齢とともに、道具習得と使用、体系習得と使用、独創(応用)の割合が変化していくといいます。道具を楽しく習得し、年齢とともにそれをどう使用していくかの体系を学んでいきます。大学受験ではそういった体系を身につけ、将来の独創性に繋げていきます。論文入試ではそういった体系を身につけているかを調べることは不可能なので、著者は賛成していません。ほとんどが予備校でならった模範解答のような文章を書くだけになっていると述べています。そして履修科目を削ることなく、広い視野で体系的思考ができることが不可欠だといいます。また常に考える癖をつけることが大切だということです。数学は難問に答えられるようにする必要はなく、しかし高校程度の基本の数学は大学進学者の誰もが身につけておく必要があるといいます。                                                                             最後に英語学習について述べています。収益率を考慮した英語学習として、すべての日本人が英語力を上げる必要はなく、英語能力があり、仕事で必要となる個人のみが英語力を上げればよいと著者は考えています。パズルのような英語の難問読解などは必要なく、大学の専門分野では平易な英語が書かれているのであるから、それを読める程度の英語力をつけること、また書く力については難解な和文英訳の必要はなく、ある程度正しい前置詞や冠詞を使いこなせて、関係詞や接続詞を適切に使って文の長さを適切に保ちつつ滑らかに論理を展開する能力が必要だといいます。 そのためには英単語がどのように使われるかを覚えること、英文を書いて文章のうまい英米人に添削してもらうこと、英語の使用法を詳細に説明した辞書を作ることだそうです。声に出して英語を読むことは非常に有効だということです。                                                                小学校の英語教育についてですが、下手な日本人に教わっても意味がなく、英米人教師が週2時間程度でも教えれば、生徒の聞き取り能力は向上するだろうということです。しかし、そうやって使った週2時間と英語教師に払う費用に見合う効果があるかどうかは検証してみなくてはならないということです。  

なかなか興味深い内容でした。一人一人には当てはまらないことはあるでしょうが、教育を経済学的に見るには分かりやすい本だと思います。     

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