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サード・カルチャー・キッズはここにも。

サード・カルチャー・キッズという言葉をご存知でしょうか。親の生まれ育った国以外で育つ子ども達が持つ新しい文化をサードカルチャーと呼ぶようです。親と同じ文化でもなく、また居住地と同じ文化でもない文化を持った子ども達をサード・カルチャー・キッズと名づけ”Third Culture KidsーThe Experience of Growing Up among Worlds”という本を著したのは、David C.PollockとRuth E.Van Rekenです。   

                   
                                                        朝日新聞のサイトに興味深い記事が載っていました。ここにもサード・カルチャー・キッズが育っています。グローバル化し、諸国間の移動が日常的になってきつつある世界。こういった子ども達の数も、今後ますます増えていくことでしょう。
 
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15階建ての高層住宅約10棟がびょうぶのように立ち並ぶ川口芝園団地(埼玉県川口市)。総戸数約2400戸の団地内で、酒店を営む高津健次さん(57)は「いつだったか、最初に見た時は本当にびっくりした。もう慣れっこだけど」と振り返る。


半数近くが中国人の3年生クラス。1週間前に転入した中国人児童も、呼ばれると元気に「はい」とあいさつ=川口市立芝園小学校で
  
 その日、来店したのは中国人の客3人。酒を選んでレジの前に来たとたん、仲間内で激しい言い争いが始まった。「けんかだろうか」。戸惑う高津さんをよそに、5分ほどして1人が代金を払うと、何事もなかったように仲良く帰っていった。

 中国人客はその後どんどん増え、たびたび同じ光景が繰り返された。やがて高津さんにはわかった。口論に見えたのは「おれが払う」「いや、私が」というやりとりで、中国には割り勘の習慣がないのだと。

 空室が目立っていた団地内に中国人が急増し始めたのは2年ほど前から。団地の自治会によると、今では全世帯のほぼ3分の1の800戸近くが中国人世帯。当然のように、日本人住民との間に摩擦を生んだ。夜になっても子どもを外で遊ばせる、高層階の人を地上から大声で呼ぶ、ゴミ出しの日を守らない、回覧板が回らない……。

 自治会にも入ってくれない。瀬川剛一会長(76)が勧誘に回ると「どうして入らなければならないの」「月300円払って、何かいいことがあるんですか」。それでいて餅つきや祭りのイベントには喜んで集まる。瀬川さんの心中にも、「もし中国人住民全員が入会したら、自治会は一体どうなるんだろう」という不安がよぎることもある。

 団地内の1DKに住む黒竜江省出身の金哲さん(35)は留学生として来日して12年。今は池袋の大手旅行会社で働く。団地内の知り合いは30人以上。仲間内の忘年会やハイキングを主催し、団地の同郷者の間では「村長」と呼ばれる。「慣れない外国生活。仲間がいるから、みんな集まってくる」。自治会の不満もよくわかる。「私たちももっと日本人と交流した方がいいと思う。ただ、たまの休みに仲間で集まった時くらいは大目に見て欲しい」

 急増する中国人住民は、ほとんどが「新華僑」と呼ばれる人たちだ。団地の入居条件となる安定した収入があり、修士号や博士号を持っていたり、本国の不動産や株式に投資したりする人も多い。

 隣人関係はきしみがちだが、子どもの世界は一歩先を行く。団地内の市立芝園小学校は児童100人余りのうち約3分の1が中国籍。勉強も遊びも日本語で、学力水準は国語でさえ他校に引けをとらない。

 高見隆校長は「初めて日本に来た子でも、半年ぐらいで普通の学校生活を送れるようになる。中国人だからといって特別なことは何もない。子どもに国籍の違いはあまり関係ありませんよ」と話す。

 日本に根を張った新華僑たちは、かつては想像しえなかった新しい世代を生み出しつつある。

 今春、東大に現役合格した楊宇龍さん(18)には、母国を離れた頃の記憶はない。来日は3歳の時。大連理工大の講師だった父・克倹さん(45)が東北大大学院に留学するのにあわせて、母・龍麗華さん(44)と3人で仙台に移り住んだ。

 博士課程を終えた克倹さんは、東京の建設コンサルティング会社に就職。建築構造学の専門を生かして、東京・汐留の高層ビルやレインボーブリッジの補修などに携わった。

 息子の宇龍さんは幼稚園から高校まで日本の教育を受けた。家庭内では中国語を話すが、日本語はやがて父よりうまくなった。中国語の能力を心配した克倹さんは中国に一時帰国した際、小学1年から6年までの国語の教科書を買い込み、週末ごとに息子に1対1で中国語を教えた。「安全で行き届いた日本社会で育った息子は純粋すぎる。環境が異なる中国で暮らせば苦労するだろう」

 宇龍さんには、大学に入って驚いたことがある。上級中国語作文の講座を受講したところ、学生11人のうち7人が宇龍さんと同じ「新華僑2世」だった。母国への「留学」経験がある学生も複数いた。担当の林少陽・特任准教授は「中国育ちとはどこか異なり、日本人ともまた違う。そんな自分は何者なのか、模索している学生が多い」という。

 自身の将来について宇龍さんは言う。「日中の懸け橋になりたい。でも、米国に行くのもいいかも。僕は華僑。世界を渡り歩くのが華僑でしょ」(武石英史郎)

http://www2.asahi.com/olympic2008/column/TKY200711140096.html
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