ブログ 海外&帰国保護者のサロン 「ピアーズ@関西」
ピアーズはPeers(仲間)です。同じ立場の人とt楽しく語り合い、学びあいたい方、体験を生かした活動を通して社会貢献したい方、教育に関心や悩みを持つ方、お立ち寄りください。海外在住した家庭に関心をお寄せくださる方もどうぞ。peers_kansai@hotmail.co.jp
 ☆ 「帰国教育相談会」&「渡航前海外生活相談会」 9月19日開催 (詳細は8月22日記事) ♡ 10月の茶話会 10月24日開催 (詳細は8月22日記事) ☆ 「帰国教育相談会」&「渡航前海外生活相談会」 9月19日開催 (詳細は8月22日記事) ♡ 10月の茶話会 10月24日開催 (詳細は8月22日記事) ☆ 「帰国教育相談会」&「渡航前海外生活相談会」 9月19日開催 (詳細は8月22日記事) ♡ 10月の茶話会 10月24日開催 (詳細は8月22日記事)
海外でしておいたほうが良いこと。

7月に行いました「帰国教育相談会」の中で、FIA教育アカデミーの古川先生は、「海外では海外でしかできないことを楽しんで欲しいし、それが面接などで生きてきます」と話していらっしゃいました。

その通りだと思います。日本の教育状況を知っておくことは必要ですが、「今、生きている場所」をしっかり生きることは大切です。また、日本と同じ状況は作り出せないのですから、違う状況を楽しむ、学ぶということは海外においては不可欠な心構えかと思います。

と同時に、外国語環境にどっぷり浸かっている方は、日本語だけは気を付けてあげてくださいね。                                        「カンド」「ケイド」という日本の小学生とは切っても切れない言葉をご存知でしょうか。「漢字ドリル」と「計算ドリル」の略です。ふだんの日本の小学校の宿題は、この「カンド」「ケイド」と「国語の本読み」が主となっています。計算は海外でもやっていますが(計算方法が多少違っていたりもしますけれど)、漢字については日本に住む小学生でさえ、毎日積み重ねています。漢字の練習は機械的なものになりがちですが、機械的だからこそ簡単に身につけられるとも考えられます。

大変でしょうが、すきま時間を上手に利用して、なさってあげてくださいね。

【2008/08/07 12:55】 | 教育観 | トラックバック(0) | コメント(0) |
理系好きにするには?

私にとっているメルマガ(ストロング宮迫さんのメルマガです)で、今日、興味深い記事が載っていました。理系に進ませたい親が結構居るといった内容で、理系科目好きにさせるには、といったことが書かれていました。                                                

親が理系だと、遺伝か環境か、理系得意の子どもになるのは自然なことだと思えます。隔世遺伝でしょうか、持って生まれたものが理系タイプということもあるようです。

ですが、そうでなくても理系好きにするのは可能だとか。その一つとして「深く、狭く」ということを挙げていらっしゃいます。例として挙げてあるのは、あちこちの動物園に行って色々な動物を見るといった通り一遍な方法ではなく、一種類の動物を見て、それに興味を持ったら、次回は家で深くそれを調べてから、再度訪れて生態を観察する、といった方法をとってみてはいかが、というものでした。一つのものに詳しくなると、それについて語りたくなる、そしてそれをますます深めるといった学習態度を養成するということのようです。

夏休み、こういった学習方法を学ぶ良い機会かもしれませんね。

もう一つ、挙げてあったのは、一つの問題に対して、最短で得られる解法ではなく、別解を考えさせるというものです。応用問題を解く力は、最短の解法を知っていた上で、別の解法を考える力だとか。解ければ、それでいいじゃん!というのではなく、どうしてその解法を取ったのかといった狭く深く考える力だそうです。

簡単にわかろうとする、といった態度では、ちょっと理系に進むのは大変ということなのかもしれませんね。回りくどくても、しつこく追求する力、といったことでしょうか。

【2008/07/25 12:48】 | 教育観 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ネガティブをポジティブに −リフレーミング辞典ー

5月末に異文化間教育学会に参加したときに聞いてきましたリフレーミングの技法について、とても参考になるように思いましたので、皆様にお伝えしたいなと思います。

その発表をされたのは京都教育大学の藤田恵津子先生です。テーマは「怒りのマネージメント」に関するものでした。

リフレーミングという技法は、認知の枠組みを変える心理療法の一つのようです。また「怒りのマネージメント」という分野はアメリカではかなり盛んな分野のようです。

藤田先生が提示してくださっていた「リフレーミング辞典」ですが、相手(例えば子ども)の行動を捉えるときにとても役立つと思いました。以下がそれです。ネットに出ていましたので転載させていただきます。http://www.naracity.ed.jp/tawara-j/2007/13counseller/soudannsitudayori02.pdf 2枚目の分です。

以下に一部を改訂して抜粋しています。推薦状や志願票の子どもの長所短所報告にも使えそうですね(笑)。

甘えん坊

人に可愛がられる

人を信頼できる

せっかち 反応が素早い
 でしゃばり世話好き責任感が無い無邪気 自由
あきっぽい

好奇心旺盛

興味が広い

外面が良い

コミュニケーション能力が高い

社交的

諦めが悪い 

しつこい

粘り強い いちずだまされやすい素直 純粋
あわてんぼう行動的 素早い調子にのる雰囲気を明るくする

いいかげん

だらしない

こだわらない 

おおらか

冷たい冷静 客観的
意見が言えない

争いを好まない

協調的

生意気

反抗的

自立心がある
 ふざける周囲を楽しませる涙もろい人情味がある

いばる

プライドが高い

自分に自信がある

のんき

のんびり

細かいことにこだわらない

マイペース

躁鬱である

カッとしやすい

気性が激しい

感情豊か

情熱的

八方美人付き合い上手
うるさい活発 元気人付き合い下手自分を大切にする
おしゃべり会話を楽しむ孤高独立心がある
おっとり

マイペース

周囲をなごませる

人を羨む人の良いところを認める
おとなしい

穏やか 

話をよく聞く

周りを気にする心配りができる
 命令しがちリーダーシップがある負けず嫌い頑張りや
堅苦しい

まじめ

まじめ頼りになる
変わっている味がある 個性的向こう見ず行動的
がんこ

意思が強い

信念がある

無口聞き上手 穏やか
気が強い

積極的

弱音を吐かない

 無理をする

期待に応えようとする

協調性がある

気が弱い周囲を大切にする目立たない控え目 和を大切にする
きついはきはきしている目立ちたがり自己表現ができる
厳しい

妥協せず目標を追い求める

面倒くさがり

ルーズ

おおらか

細かいことにこだわらない

口調がきつい素直に伝えられる優柔不断慎重
口が悪いきちんと評価ができる乱暴逞しい
口が軽い気持ちを言葉で伝えられるわがまま

自己主張できる

かわいげがある

口下手言葉を慎重に選ぶ 暗い 自分の世界を大切にする
けじめがない物事に集中できる けち 計画的にお金を使う
強引みんなを引っ張る力がある こだわる 自分の考えを大切にする 

向上心がある

断れない優しい 自慢する 自己主張できる
地味控え目 素朴  
消極的

控え目 

周囲を大切にする

 ずうずうしい 行動力がある

堂々としている

【2008/07/11 12:01】 | 教育観 | トラックバック(0) | コメント(0) |
子育てに目標設定をしておくといいかも。

先日読んだ教育メルマガで共感し、皆様にもお伝えしておくといいかしら、と思いましたので書いておきますね。

それは、ある程度、大まかな教育目標を設定しておくということです。ほんとに大まかなものですけれど。そして、それは各家庭によって多少違いはあるかもしれませんが。

それは、中学生の間に勉強姿勢をしっかりと身につけさせておく、という目標。また高校生の間に、しっかりと生活態度を身に付けさせておく、という目標です。(これは年齢的には海外でも共通するでしょう)

日本の場合ですが、小学校から中学校に入ると、勉強面においてはかなり変わります。各科目ごとに先生がかわりますし、また定期試験や実力テストがあり、点数がはっきり出てきます。計画的に勉強することや、予習・復習といった学習習慣をつけておくと、高校での勉強がラクになることでしょう。中学までは才能だけで身につけられる学力も、高校になると努力の要素が大きくなってきますので。

高校生になって生活態度?と思われるかもしれません。ですが、高校生になると一気に大人に近づいて、生活範囲も広がります。繁華街にも友達同士で出かける時期でもあります。アメリカでは車を運転して自分でどこでも行けるようにもなります。その時に、自分でちゃんと自分を律して生活できるような態度を身に付けておかないと、大学生で自由にさせるのが不安ですよね。例えば真夜中に高校生が家を空けるというのは、非常に心配です。どんな犯罪に巻き込まれるかもしれませんし。

以上は厳しく言ってもダメでしょう。子どもが苦痛と感じないこと、納得していることが大事かなと思います。親自身の生活態度も問われているわけですしネ。

また高校卒業時には大人と同じ位の思考力は身につけさせておきたいものです。まだまだ経験は足りないかもしれませんが、高校の年齢で成人以上の思考力を持っている生徒も少なくありません。対等に語れるくらいに、という目標を設定しておくことは悪くないと思います。

ちょっとエラソーに書いてみました。なんらかの参考になれば嬉しいです。

【2008/05/09 09:20】 | 教育観 | トラックバック(0) | コメント(0) |
身の丈にあった教育・・・

朝からネット探索をしていて、ちょっと「それはそうかも」と思う記事に行き当たりました。森永卓郎さんが書かれている庶民の生き残り術の一節です。極めて庶民な私は、かなり納得しました。

要は身の丈に合った教育(子どもの能力や個性に合った教育)をしないと、莫大なコストがかかります、ということなのです。できる範囲で最大限の成果を出せば十分かな、と私は思います。お金持ちはコストを厭わないでしょうし、教育熱心なご家庭はエンジェル係数は高くなり、それはそれで良いと思います。けれど、お金をたくさんかけたからといって確実に学歴を手に入れられるといったものではありません。結果として学歴がついてくることもあるでしょうが、それまでの子育ての過程が、人間を育てる上ではもっと大切なのだろう、と思います。

【2008/05/07 09:51】 | 教育観 | トラックバック(0) | コメント(0) |
世界初、「笑い測定機」

読売ウィークリーに面白い記事が出ていました。関西大学の木村洋二教授が「笑い測定機」を開発したそうです。というと、ちょっと怪しげな感じですが、横隔膜周辺につけた感知器から笑う時に動く筋肉の電位を測るものなのです。人間が心から笑うと横隔膜が上下するのですね。

この記事の中で特に私にとって印象深かったのは以下の部分です。                               「木村教授は、この「笑い」の共鳴を、母子間など家族内の関係を密にすることに役立てたいと考えている。・・・赤ちゃんと笑おうということで、『笑いによる子育て支援プロジェクト』というのを4月から始めようと思っています。・・・小さいころから一緒にワアーッと笑える、つまりきれいなシンクロ波が出る母子の間では、虐待などの問題が起きにくいのではないか、というのが木村教授の仮説だ。」http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/yw/yw08041301.htm

確かにそんな気がします。つい先日、週刊誌で読んだところによりますと(!?)、茨木県で9人を殺傷した容疑者の家庭は家族バラバラでお互いの携帯番号も知らず、父親は何年も息子と話していなかったとか。おそらく、家の中に「笑い」は無かったことでしょう。

 心置きなく話し合えて、笑いあえる家族。 やっぱり「笑い」って大事ですよね。軽くあしらわれがちな笑いですけど、人間にとって重要なものなのですよね!(ただし皮肉な笑いとかは、ちょっと問題アリかも)

【2008/04/03 16:01】 | 教育観 | トラックバック(0) |
海外で出産、子育て。

私自身、海外で出産して乳幼児の子育てを経験しております。(その後も数回、渡航いたしましたが)                                                   その中で今日は出産と乳児の子育てについて、私自身の経験についてちょっと書いてみたいと思います。

私は結構長く働く独身貴族(パラサイトシングル)をやっておりました。結婚願望は無く、子どもも別に要らない派でした。すごく自己チューな人だったと思います(今でも大いにその名残はあります・・・)。食事は全部、母親に作ってもらい、働いてそのあとは資格の学校に通ったり、お稽古にいったりして外食したり、母の作った夕食を食べるといった状態でした。

で、何もできないまま結婚し、すぐに海外へ。なんとか家電に助けられて家庭生活はやりましたが、それこそ出産なんて未知の世界です。(知らない間に子どもができてた、みたいな・・・?)

出産はしたものの(←これも、なかなか大変でした。いつか別の機会に)、いよいよ赤ちゃんを一人で育てるのです。夫は出張が非常に多く、週末くらいしか家にいません。赤ちゃんは何もしゃべってくれないし、いったい赤ちゃんがどう育つのかも未知です。

当時はネットなんてありませんし、子育て雑誌なるものの存在も知らず(たぶん、少しはあったのでしょうが、目にすることはありませんでした)、結局、現地の病院で貰った英語のパンフレットとあとは実家が送ってくれた松田道雄さんの「育児の百科」一冊のみ。何カ月で大体どんなふうになる、という予想だけをしつつ、早く1歳になってほしいと指折り数えた毎日でした。なぜなら、赤ちゃんが人間とは思えず、離乳食を卒業し、しゃべったり会話したりできるようになる日を、ただひたすら待ったような記憶があります。なんてひどいお母さんでしょうね。子どもが知ったら怒りそうです・・・。                                                           (松田道雄さんのご本、とってもいいですよ。子どもの個性を大切にしてくれます。アメリカの小児科医も個性を大事にしてくれました。痩せた子どもだったのですが、元気だったらそれでいいと言ってもらいました。日本への一時帰国では保健師さんに痩せすぎと怒られたのですが。ほんと、「こうあるべき」は苦手です)

たった一人での子育て、という感じでしたが、MothersMorningOutといったような教会の助けを借りて、英会話学校に通ったりしてお友達を作ったりし、それなりに生活していました。

さほど間隔をあけずに下の子どもができて、今回は赤ちゃんもいずれは人間になることが分かっていたので、寂しい子育てではなくなりました。相変わらず夫が不在で忙しい日々を過ごしましたが、3人で楽しく過ごすコツも分かってきました。上の子どもはすっかり人間になっていましたので、実家に頼んで送ってもらった本を一緒に読んだり、知育パズルをしてみたり・・・といった感じでした。家の中では日本語一色、けれどMothersMorning Outや教会の一時預かりでは英語といった生活を子どもは送っていました。

幼児期にいったん日本に帰り3年間を過ごしたので、日本の生活のことも分かり、それ以後の渡航では日本語の維持伸長の重要さを海外子女教育財団の先生や先輩方に教えていただいていたので補習校に頑張って通わせ(かなり労力要りました)、その結果、帰国してもなんとか日本の勉強についていけたように思います。

ちょっと体験を書いてみました。少しでも参考になることがあれば幸いです。

  
【2008/04/02 12:06】 | 教育観 | トラックバック(1) |
最近、変な事件が続きました。

このところ、茨城県のナイフによる8人殺傷事件、岡山駅での突き落とし事件など若者による無差別殺人が続きました。春という年度替りに自分だけが置いて行かれるような不安が焦燥感を生んだのではないかしらと思います。

どちらの若者も社会の中でこれから先、うまくやっていけないのではないかという絶望に苛まれて、自暴自棄になったような気がしてなりません。

それぞれ周囲の誰かが彼らの思いを理解し、人生の多様な道を示してあげられなかったのかしらと残念です。もうちょっと前向きに生きていける方法はあったと思うのです。例えば後者の少年の場合、奨学金の可能性も皆無ではなかったでしょう。前者の青年も、高校時代は学校を休まず、弓道には熱心だったそうですから、なんらかの道はあったのではないでしょうか。もし精神的なことならば、それだって支援策はあったように思うのですが。

素晴らしい学歴をつけて、社会に華々しく飛び立つという人はもちろんそれで結構かと思います。けれど挫折を経ても前向きに生きていく方法はきっとあります。そのために色々な生き方を示唆して選択させてあげられるよう、時には周囲が手助けする必要があるように思います。

人は個別性を持って生きていますから、誰にでも当て嵌まる処方箋というものは決してありません。けれども、いろいろな選択肢からその子どもが前向きに生きていけるようなものを選べるよう、必要とあらば支援したいものです。もちろん、時にはゆっくり休む時間も、考える時間も、のんびり進む時間も必要ですから、選べ選べと追い立てるのも無理なことを重々承知しながらネ。

【2008/03/30 15:10】 | 教育観 | トラックバック(0) |
危機感(危機ですよ、という煽り)に動かされない

今日、ネットを見ていましたら、日本は「危機感」でもって動く社会である、と語られていました。悲観的な論者が多いということです。政治家にしても同様です。概ね人間というものは危機情報に大きく反応します。それは危機回避が生命に関わる動物的本能だからでしょう。                 

けれど、アメリカはかなり違っていて「希望」でもって動くようです。アメリカでは、ちょっと上手にできただけでも”Excellent!”などと褒めてくれます。帰国児童・生徒が日本の先生は褒めてくれない、と言いますが、社会の底流に流れるものが違うのでしょうね。

さて、子育てにおいては、塾の先生やら世間の風潮やらに、つい危機感を煽られます。海外では日本からの情報もそれに含まれるかもしれません。真面目なお母様ほど一生懸命それを聞いてしまいます。だけどいったい、「勝ち組」「負け組」なんて何でしょう。人生で大切なのは、そんなことでしょうか。                                  人の話を参考にはしても、それで不安に駆られて焦ってしまわれませんように。(甘い考えでもいけませんが) 私の経験では、自分の考えを持っていらして、簡単に煽られないお母様のほうが子どもも着実に歩みを進めて行くようです。

「危機感」に突き動かされる教育は、どこかおかしいと思います。やはり「希望」というものを大切にして、子どもの中に「希望」の気持ちを育てていきたいものです。

私はピアーズ@関西に対しても、希望を抱いて、誠実に取り組みたいと思っています。

【2008/03/13 14:25】 | 教育観 | トラックバック(0) |
子どもに、有り難う!かな。

「親の思いを押し付けない」という記事に関連して、またメールをいただきました。ご自身が、押しつけ過ぎているのではないかしら、と御心配されているようです。

そういうように心配なさるようなお母様ならたいてい大丈夫だと私は思います。                   「自分は子どものためを思っている」のだから、「これが大人の判断としては、どう考えても正解だ」と思い込んで無理を押し付けて、引かない方が危ないような気がします。自分の考えを振り返る柔軟さがあるなら大丈夫で、たいていのお母様は、その時は悩んだとしても、ちゃんと子どもの気持ちを汲んで、悩みつつやっていかれます。

子どもが小さい頃は、いろいろ期待してもいいのでは、と思います。そのうち、だんだん子どもの現実を理解して、その現実に合わせて最適解を見つけていけばいいのです。                                                                         どうしても子どもの現実を見ようとせず、無理させて「親の期待」通りにしようと思うと、ちょっと子どもが気の毒です。親もしんどいです。                                                 (うちの親戚ですが、親の思いが刷り込まれ、子どもがそれを自分のものとしてしまって、現実と合わず、他所目には大変そうでした。現実と合えば理想ですけれど。)

子育てって、ある意味で、諦めを学ぶことかもしれません(笑)。相手も人間ですから、そうそう親の思う通りには育たないわけで、またそれが自然なことです。盆栽になる方が心配です。「子育て」って「諦めを学ぶ」ことだなんて言うと、若いお母様方の夢を壊してしまうかもしれませんが。

若いうちは、夢を持って育てることはいいんじゃないでしょうか。そのまま夢を実現させてくれることもあるでしょうし。

子どもが大きくなるにつれ「諦める」のは「子どもを諦める」ことではありません。「親の思いを諦める」ということです。それが親として成長することであり、人間として成長することかもしれません。
                                                                      子育てって、育てさせていただくことが楽しいんだと思います。子どもに有り難う!って言いたい気持ちです。こんな喩えはちょっと違っているのかもしれませんが、植物でも動物でも育てることに楽しみがありますよね。そんな感じでしょうか。ただし、あくまでそのものの良さを生かして育てることですよー。
【2008/03/12 22:00】 | 教育観 | トラックバック(0) |
子どもを信頼する ー帰国ママからの感想メールー

「親の思いを押し付けない」という記事について、帰国ママから感想メールをいただきました。とても嬉しかったです。

その方はおっしゃいます。                                                    「押し付けない教育」とは、つまり、子どもを、信頼出来るか出来ないかではないでしょうか? うちの場合がそうでした。信頼できなかった私。お説教ばかり。子どもが高校生の時には反抗期で、とてもいっぱい反抗したものです。でも、その時、私が気が付いたのは、私は私の価値観で、子どもを計っているのではないだろうか?という事です。で、ある日突然、信頼しようと決心しました。すると、急に、子どもとの会話が成り立って行き、横に並んで対等に話をする事が出来るようになったのです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

心の持ち方を変えて、子どもを信頼しようと決心なさったお母様。エライですよねえ。頭では分かっていても、なかなかできない方が多いですのに。きっと子どもの気持ちを理解しようとする優しさがあったからですね。まだまだ私にはできないわ、と思われる方、一緒に頑張りましょうね。

【2008/03/08 09:56】 | 教育観 | トラックバック(0) |
親の思いを押し付けない

長く教育関係の支援活動をしていて、つくづく感じているのですが(といっても、今後また変化していく可能性はありますが)、うまく子育てなさっているお母様というのは、自分の思いを子どもに押し付けず、上手に支援なさっているな、という気がするのです。

こうやってブログを読まれたり、いろいろ情報収集なさるのはとても良いことです。でも、それはいつも「まず最初に子どもありき」で考えなければなりません。子どもに良かれと考えるのは、どの親も同じです。けれど、子どもをよく見ていること、無理なときは変更するフレキシビリティを持っているということ、が大切なように思います。私自身、それができています、とは申しません。ただ、多くのお母様を見ていて、そう感じるのです。

そういう子育ての結果、良い学校へ進めます、なんていうことではありません。子どもさんが社会でちゃんと役割を果たせるように育てる、ということかもしれません。もちろん、ちょっとぐらい寄り道したっていいんだと思います。それを容認できるフレキシビリティも大切なことなのですから。

親が一つの価値観を提示して、子どもが反抗しながら自分の価値観を築いていく、というのもアリだと思います。でも楽しい親子関係は、どちらかが一方的に押し付けるのでは築けないように思います。あくまで主役はその子ども自身であり、それを多少なりとも援助しようというスタンスがいいんじゃないかな、と思っています。言うは易いのですが、なかなか実際できていないのが親というものなのでしょうけれど・・・。

【2008/03/07 14:23】 | 教育観 | トラックバック(0) |
学校の選び方 −私の場合(告白も含めて)−

これは私の場合の学校の選び方です。きっとそれぞれの家庭で違うと思いますが、一つの参考として読んでください。私自身の失敗談も含めての話です。

私、これでも小・中とかなりの(?)優等生でした。小さい頃からの親の教育熱心さのお蔭か、そこそこの努力でまあまあの結果を収めていました。親は勉強の仕方を教えるというわけではなく、塾なり家庭教師を適宜つけるなどといった方法で、何気なーく成績優等の子どもになってしまっていました。

それですんなり高校は進学校へ。すると、そこには私程度の人はゴロゴロ普通に居るわけです。あとはちゃんと学校の勉強をこなしていくか、適当に済ませるか、ということでどんどん差が開いてきます。もちろん、もともと頭の回転が速い人は、そんなに努力しなくてもさっと理解もできますし、定着もいいでしょう。でも、そこそこの頭では、確実に身につけることをしないと、一夜漬けでは追いつきません。(昔の進学校はすごいスピードで授業が進みましたねえ。基礎的なわかりやすい参考書も少ないでした)

というわけで、大学入試では私の場合、数学がネックとなってしまいました(理科は生物選択で、文系的頭脳でなんとか対応できましたが)。 英・国・社だけは別に嫌いでもなかったし、それらの勉強が苦というほどでもなかったので私立大学には進めたわけなんですけれど・・・。本ばっかり読んで、数学から逃避した高校生活3年間でしたねえ。

で、私は子どもの学校を選ぶ時に、子どもの力でそこそこちゃんとやっていけるところ、ということをまず念頭に置きました。下に書いていますように、自信というか成績においても自己肯定感をそれなりに持って過ごせるところ、と考えて学校を選びました。

それと、もう一つ、気をつけたのは、小さい頃から紙に向かって勉強するのが嫌いではないようにすることと、学校の勉強だけはしっかりやっていこう、という気持ちを持たせることでした。学校以外の勉強はとりたててしなくていいから、それだけはちゃんとやろうね、と常々思わせるようにしたつもりです。(現地に居る時は現地の学校の勉強を大切に。あとは日本語) それともう一つ、勉強というのは最終的には自分でするものであって、塾などは利用するだけのものだ、ということも感じさせるようにしました。                                                  選んだ高校は強制するような学校ではなく、どちらかというと教えることは教えるけれど、あとはご自分で、という校風だったのも、うちの子どもには合っていたように思います。昔の進学校と同じ方式だったので、それについていければ、それなりの学力は付くようになっていました。あとは、学校生活を部活や行事も含めて、利用してほしいな、と思っていました。勉強だけなら予備校や塾だけで十分ですが、それ以外のことができるのが学校だと考えていましたので。

子ども達はそれぞれ、なんとか自分らしく生きようと今も模索中ではあります。けれど、もう後は自分でやっていってくれるだろう、という段階になっていると私は思っています。私の中では18歳独立説がありまして、大学進学までに倫理感なり、一人で生活していく力(お金を稼ぐのはまだ無理としても)をつけておいてやれればと思っていました。今、なんとかやっていってくれているのではと感じています。

ピアーズ@関西の茶話会では、本音でお話し合いができればいいなと思っています。いろいろな人の話を聞くなかで、参考にしたり、違うなと思ったり、それが魅力の会になればいいなと思っています。

【2008/03/07 13:42】 | 教育観 | トラックバック(0) |
努力はなんのためにするの?

この前、ある教育メルマガを読んでいましたら、とっても良いことが書かれていました

「努力はなにのためにするのか」ということです。努力が大切、コツコツと努力を積み重ねることこそ重要だと世間の人達は言います。まさしく、その通り。だけど、努力して得られるものというのが最も重要なのです。それは「自信」を得るためだ、ということです。

人はなぜ努力できるのでしょう。それも進んでする努力。それは、そうやって努力することで自分に自信が持てると感じているからです。きっとできるだろう、という予測があるからです。

それは大人も子どもも同じ。特に子どもには成功体験で、自信をつけてやることが大切ではないかしら、と私は思います。無茶苦茶な努力を要求するのは子どもには酷です。まずはちょっとした努力で、それなりに自信をつけてやること、それが積み重なれば、こういうふうに努力すればできるんだな、という気持ちを起こさせます。

「努力の先にあるものは自信なのだ」とそのメルマガの著者は言っています。本当にそうだよねえ、と思います。それが分からないで「努力、努力」とお念仏のように唱えたり、「努力が足りないからだ」と叱ったりしていても無意味だと理解できるでしょう。

「努力によって成果を感じ、自信をつける」ということが大切なのだと分かった時、どうやればいいかがお母様方には自然に見えてくるのではないでしょうか。まずは「できそうな」ささやかなことから、です。

【2008/03/07 11:31】 | 教育観 | トラックバック(0) |
教員養成系の学部が不人気

毎日新聞のサイトに教員養成系の学部が不人気だと書かれていました。教員養成系学部の試験会場でインタビューを試みたそうですが、人員不足や多忙化、理不尽な要求をする保護者、教員免許更新制などといったことが教員を志望する若者を減らしているのではないか、ということです。http://mainichi.jp/life/edu/news/20080225dde041100039000c.html

先日のフィンランドの教育界とは対極の感がしました。                                                 フィンランドでは、行政の圧力が極小で現場の裁量権を認めており、先生方は良い授業づくりに専念できる環境にあって、親も行政も先生を尊敬し期待し、先生のすることを援助しようとしているのだそうです。 

OECDの調査では、「PISAで良い成績を収めた多くの国々は、個々の学校に、より大きな自治権を与えている」という結果が出ているそうです。学校にやる気をおこさせること、学校が自分達のアイデアを考え出し、それを試してみることで良い成果が得られるのです。

とはいえ、フィンランドでは学校を評価することはしません。批判したりはせず、あくまで教職員の発達や創造性を支援するのが行政なのです。学校そのものを競争に巻き込むのでは、「競争の論理」に呑み込まれていることになります。子どもたち一人一人が違っており、クラス一つ一つが違っており、学校一つ一つが違っているのだから、それぞれの発達を支援することが大切であって、学校同士を競争させることは無意味なことなのです。

先生方は担当する授業が終わると、午後2時頃には帰宅する人も多いそうです。授業以外の時間は、授業に向けての研修をしていることになっていて、時間の使い方は教師に任されています。ノートの点検やレポートの評価、教材の準備など、学校でやってもよく、そうでなくてもよく、一番やりやすい場所ですればいいのだ、という考え方です。

フィンランドでは教師になるまでは厳しいのですが、ひとたび教師になると個人別教員評価は行われないそうです。

人間を育てる教育の重要さ、そして教師の重要さを国全体が認めており、教師を支援する行政と国民という一つの理想が実現されているように感じられました。                                     

【2008/02/26 11:36】 | 教育観 | トラックバック(0) |
フィンランドの教育に学ぶセミナーに参加

先週の土曜日、朝日教育セミナー「学力世界一のフィンランドに学ぼう」というセミナーに行ってまいりました。参加希望者が多く、抽選が行われたそうで、500人余りの参加があったようです。

第一部は都留文科大学教授の福田誠治氏が日本の教育とは対照的とも言えるフィンランドの教育についてお話くださいました。                                                  まず先生が最初におっしゃったのは、フィンランドにはテストが無いということでした。高校に入るまでは他人と比較するようなテストは無いそうです。少人数での教育なので、そういったテストもする必要が無く、一人一人の多様な学力を把握できるとのこと。進度の早い子どもには自主的に勉強させ、遅い子どもにはきっちりと個人授業的な授業をされます。国の教育政策のために、地域から抽出してのテストはあるそうですが、それは学力の低い地域に予算を回すといった施策を講じるためのテストだということです。社会的、経済的な条件での格差を教育に影響させないということが確固とした国の方針であり、一人の落ちこぼしも作らないということが、人口の少ないフィンランドには非常に重要だからでもあります。政府は現場にお金は出すけれども、現場でやり方を工夫するのはすべて学校と教員に任されており、教員は非常に質が高く、大変人気のある職種だそうです。

次にOECDが行ったPISA(Programme for International Student Assessment)のテストについて、フィンランドや日本、そして他の国の結果についてお話くださいました。このテストは読解力の分野、数学的リテラシーの分野、科学的リテラシーの分野の3分野の試験内容となっています。 参加した国々の教育の質を測ることができるような試験問題です。 それぞれの国が、これからすべきことを明確にできるようにしたものと考えて良いようです。                                                             

さて、落書きに関する2つの投書意見を読んで答える問題では、日本の正答率はかなり低いのですが、それよりも興味深いのは無答率の圧倒的な高さです。それに引き替え、アメリカは正答率は日本同様高くないのですが無答率は非常に低く、誤答率が大変高いのには、ちょっと笑ってしまいました。先生の解説では、日本人は曖昧な場合は答えずに逃げてしまうといったことや、文章で表現するのが苦手ということに加えて、自分と意見が全く違う人に対して「理解不能」と相手にしないといったことがあるのではないか、ということでした。    

科学的リテラシーの分野での日本の特徴は、「科学的証拠を用いて解く」といった旧来型の部分では依然と変わりなく正答率が高いのですが、「問題が科学的なものかどうか、迷信といったようなものではないか」を判断する力や、「どうしたら解けるか設問状況を作る」といった現代に必要な力が培われていないようです。同様のことは読解力においても顕著で「省察する」といった能力は高いのですが、「情報を取り出す」力や「相手との意見の違いを解釈する」といった能力が低いのが日本の子どもたちの特徴のようです。表現力が足らないといった従来の解釈をして教育していると、相手のことなど全く構わず、「論理」的な武装をして他人の意見を撃退してしまう人間を作り出しかねないと福田先生は危惧していらっしゃいます。どちらかというと、そういったアメリカ型のようなやり方よりも、違いを意識しつつ話し合って共同構築していくヨーロッパ型がこれからの「国境を越える」時代に必要ではないかということでした。

日本では唯一の正解を覚える教育になってしまっているのが理科嫌いや数学嫌いを生み出しているともおっしゃっていました。正解率が高いにも関わらず、理数を好まない生徒が多いのは大きな問題で、知識基盤社会にあって「なぜ」と問い続けていくような生き方が必要となってきているということでした。指示待ち労働者を作っている時代ではないとおっしゃっていました。

ゆとり教育からの揺り戻しが起こっている現在、そして以前は「偏差値」や「受験学力」に批判的だったマスコミ論調も1999年頃から一転してしまっている現在ですが、昔ながらの詰め込み教育を復活させることだけで、これからの時代をやっていけるのだろうかと先生はおっしゃっていました。

フィンランドは90年代初め頃から始まった大不況の時代を経て、またヨーロッパがEU圏となり人々が国境を越えて移動する時代を迎えて、教育観を大転換させて今日の素晴らしい結果が出てきたということです。                                                               日本も少子化時代を迎え、また同時にますますグローバル化した時代を迎えて、教育の現状をよく把握した上で、フィンランドの教育の本質を学ぶ必要がありそうです。

なお、当日は詳しいレジュメが配られました。茶話会でご興味のある方に回覧させていただきます。 

第二部は京都市立御所南小学校の二人の女性教諭による模擬授業が行われました。内容は大きく3つのパートに分かれていました。いずれも読解力に関する分野です。

まず1つ目は新聞に投稿された文章を読んで、それに「賛成」あるいは「反対」という立場を決めて文章を書く、というものでした。隣りの人とペアになってそれぞれの立場について話し合う作業をしました。一応、ジャンケンでそれぞれの立場を決めておきます。そのあと、「主張」→「理由・根拠」→「結論・主張」という形で文章をまとめることを教わります。                                                     「私は〜に賛成です」「その理由は○○と○○と○○だからです」「確かに○○ということも言えるでしょう。しかしそれは○○です」「以上を考えると〜に賛成です」                              といった流れにのっとって文章を作りました。そして、なんと、たまたまマイクが私にまわってきて、私がその意見文を発表ということになりました。座ったままなのでラクでした。ふだん、こんなブログを書いているからか、それなりには流れにのっとってまとめることができたので、先生からは「そのまま新聞に載ってもいいですね」なんてお誉めの言葉をいただきました・・・。                                     こういった意見文の書き方のパターンは、アメリカではごく普通に学ばされたことのように思います。toeflの筆記試験でも、このような書き方をすることが必要です。

2つ目のパートは「サーラのなやみ、みんなのなやみ」という文章を子どもたちが読んで、それに関して日野原重明さんと重松清さんの文章も併読して、子どもたち同士が話し合い、その後、なやんでいるサーラにお手紙を書くといった授業の紹介がありました。子どもたちの思考の深まり、子どもたちの個性が感じられるお手紙でした。

最後に御所南小学校の読書クラブについての説明がありました。どういう観点を持って読書をしていくかといった指針が、5つのカードにそれぞれ作られていて、大体、各学年用となっているようでした。それについては、やはり先生が新美南吉の童話を会場で読み聞かせしてくださり、どの登場人物に共感できるか、そしてそれはなぜなのかを会場の人達に質問なさるという形で実演してくださいました。

以上の模擬授業についてもレジュメをいただいております。また次回、茶話会に持ってまいります。                                             なかなか有意義な考えさせられる講演会でした。参加できて、大変有り難く思いました。                    

【2008/02/25 15:23】 | 教育観 | トラックバック(0) |
多文化共生フォーラム 「ときめき☆講座」

お知り合いが先日、このブログでもお伝えした多文化共生フォーラムに行かれました。(ブログ記事はこちらです→ http://peerskansai.blog85.fc2.com/?q=%A4%C8%A4%AD%A4%E1%A4%AD )

内容についてご報告をいただきました。以下、その報告で非常に気になった部分がありましたので書かせていただきます。

それはある府県の話なのですが、困っている外国人、特にフィリピンとかブラジルとか、中国帰国孤児の子弟ではない一般の中国人等に対応できる特別入試制度が無いということなのです。生活も苦しい方が多いのですが、公立高校に入ろうにも、特別の入試制度が無いために、今は定時制にどうにか受け入れてもらっている状況だそうです。中国帰国孤児子弟のための入試には、まだ空き枠があるけれど、制度上利用できない外国人子弟が非常に多いのが現実だとか。

私の聞いている話では、それはある一府県だけではなく、関西の他府県でも似たようなことが多々あるようです。

大学入試においても、留学生ではない外国人にとっては、特別枠にも該当せず、大変な情報不足で困っていらっしゃるそうです。

「ピアーズ@関西」として、こういった方々のための情報収集とその公開も、他のNPO団体の方々と協力して進めていければな、というふうに個人的には考え始めています。

【2008/02/17 09:04】 | 教育観 | トラックバック(0) |
初めての学校

日本から海外へ、海外から日本へ、新入学や転校にあたって最も気になることの一つにお友達関係があります。今日は低学年の方のためにちょこっと書きますね。前にも同じようなことを書いたのですが、ブログは一覧性が低いので、再びの話です。

またまた親野先生からの受け売りです。(ネットの「親力養成講座」より)                           親子で前もってロールプレイをやっておくと良いという話です。

「例えば、お父さんがA君、お母さんがB君役になり、2人で遊んでいるときに、子どもがその中に入れてもらう練習を劇仕立てで行う。

入れてもらうときに、言えるようにしたい言葉としては以下のようなものがある。

 ・入れて
 ・入っていい?
 ・一緒に遊ぼう
 ・ここに座っていい?
 ・面白そうだね
 ・もう1人、入れる?
 ・じゃあ、見ていていい?
 ・じゃあ、後で入れてね
 ・今度、入れてね
 ・じゃあ、人数が足りなくなったら言ってね

逆に、「入る?」とか「入りなよ」など、他の友だちを仲間に入れてあげる練習もしておくといい。友だちを入れてあげるときに、言えるようにしたい言葉としては以下のようものがある。

 ・入る?
 ・入りなよ
 ・○○やろう
 ・○○やらない?
 ・一緒に遊ばない?
 ・面白いよ
 ・人数が足りないから入ってくれる?

こうした練習をロールプレイでやっておくと、実際の場面で言葉がスッと出てくる。言葉が出れば、子どもはすぐに仲良くなれる。」

海外に渡航され現地校やインターに入る方は、これを当該校の言葉で片言ででも言えるようにしておかれるといいですね。お子さんによっては、ジェスチャーをつけてもいいと思います。

あと、日本に帰国なさる方は、学校までの安全な道について確認されておくことも大切です。海外の現地校でのケースですが、うちの場合、小学校まで徒歩または自転車で通える距離だったのですが、近道(チカ道)であっても危ない道はチカン道と名付けて、絶対通らないようにと言い聞かせました。

【2008/02/09 12:52】 | 教育観 | トラックバック(0) |
子どもの「やる気」を育てる方法

子どもに「やる気」を出させるにはどうしたらいいのか分からない、というお話をよく聞きます。親野智可等先生のメルマガにあった以下の言葉に私は同感します。

「一つ目は、親のやる気を押し付けないことです。
親の価値観から出発している限り、決して子どものやる気を育てることはできません。

二つ目は、子ども自身のやる気の芽を見つけ、それを支援して伸ばしてやることです。

そうすれば、自分に自信が付いて、他のことにも意欲が出て、生活全般に張りが出て、すべてが良い方向に循環し始めます。

三つ目は、その時々で、子どもにとって必要なことは何か、と考えてやることです。」

親が良くしてやろうという思いからであっても、押し付けになっている限りは「やる気」は育ちません。人間、なかなか自分自身の弱さを変えられないのは、親自身も経験しているはずです。むしろそれよりも、二つ目に書かれているように、子どもに自信をつけてやって自然に「やる気」を引き出すことでしょう。また一時的にやる気を失っているように見える時も、それは子ども自身が休憩を必要としている期間なのかもしれません。じっくりと待つ姿勢も大切でしょう。少しずつ自信を育て、やる気が出てくるように導きたいものです。

【2008/02/06 08:37】 | 教育観 | トラックバック(0) |
親と対立する子どもに悩む方へ。

親の言うことを聞かない、というお悩みを時々聞きます。特に思春期になると親と対立するようなお子様もいらっしゃるようです。

以前にも紹介させていただいたのですが、「親業」という本は大変参考になると思います。親と子どもが意見を出し合って50/50(フィフティ・フィフティ)で折り合えるような交渉をしていくことが大切なのではないでしょうか。一方的な、親にとっては正しいと思われる意見の押し付けでは、子どもは納得できないこともたくさんあるでしょう。

上手に互いが交渉できるようになれば、やたらと対立することは減っていくと思います。相手の気持ちを理解し受容できればいいですね。

【2008/02/06 08:35】 | 教育観 | トラックバック(0) |
ゆとりを持った生き方を。

以前にも紹介させていただきました、ぴっかりさんのブログです。新しい記事が追加されたようです。私は非常に共感を持って読ませていただいております。皆様もお読みになってくださいませね。

ゆとりを持った子育て、そして生き方が好きだな、と私は個人的には思っています。真面目な人はきっちりとしていて、それはそれで素晴らしいことなのですが、気持のゆとりを無くしてしまえばストレスフルとなり、本末転倒のような気がするのです。

ぴっかりさんのブログ→ http://homepage1.nifty.com/pikkari/ima/top.html                      最新記事の一つ(親の生き方)→ http://pikkarisien.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_7204.html

【2008/01/15 11:47】 | 教育観 | トラックバック(0) |
お父さんの教育参加

お父様の教育参加は非常に好ましいことですし、有り難いことだと思います。母親の視点とは違った視点を持って子育てに参加することは、子どもにとても良い影響を与えることでしょう。父親は直接的に社会に関わっていることが多いですから、社会に望まれる人間がどういう人かということも、よく理解していらっしゃると思います。

ただ、ちょっと気になることもあります。それは、時々、あまりにも世間体や学歴を気になさるお父様も見受けられるということです。お受験ママ以上にお受験パパ的な方もいらっしゃって、御両親で過度に子どもさんに期待をかけられるケースでは、子どもさんも大変だなぁと思います。(過度ではなく、適度というか適切なものであれば、それは子どもにとって大いに助けとなることでしょう)                                                       子どもさんを伸ばすためには、どういう関わり方が良いのか、お父様ならではの観点を期待しています。

親野智可等先生の「親力養成塾」の記事がネットに出ています。今回のタイトルは「子育てに役立つ父親の学校参加」となっています。http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/da/12/index.html                                        確かに海外では、保護者会も父親の参加できる夜8時頃から開かれたりします。また色々な行事に積極的にボランティアをしているお父様をよく見かけました。また日本人のお父様も、子どもの英語の宿題を手伝ったり、日本ではなかなかできなかった密な子どもとの関わりもありますよね。

親野先生のおっしゃるように日本でも、普段から積極的に学校に関わろうとするお父様は、これからの教育にとって必要なことに思います。母親とは違った視点で物事を捉えられることも大切だからです。ただ、親野先生もおっしゃっているように、教師達の仕事を変に増やしてしまうような関わり方は禁物でしょう。それでなくても、今の先生は忙しくて大変なのですから。先生方が教材研究や子ども達と接する時間を作れるようにサポートしていくことが大事ですものね。「男の料理」で雑用は学校や母親任せ、とはならないように気をつけてくださいませね。

それとモンスターペアレントについても、親野先生は書かれています。お母様が学校の先生にいろいろ不満があるとしても、ただお母様の不満だけを聞いて判断して、母親と一緒の批判を学校にぶつけるために学校に乗り込んで行く父親だと、ちょっと先生も困られるかもしれません。もちろん、学校に非があることもあるでしょう。けれど冷静に話し合えるお父様であって欲しいと思います。それこそ、社会で培われた力だと思いますので。相手の立場にも立って、話し合える力をお持ちだと思います。

でも、仕事が忙しくて、とても学校参加はできない、というお父様も大勢いらっしゃることと思います。できる範囲で子育ての支援をしてくださったらいいですので。子どもへの愛情を十分示してくだされば、そして疲れているお母様を少しでも癒す言葉をかけてくださるだけでも、かなり嬉しいものです。期待しています。

【2007/12/01 01:02】 | 教育観 | トラックバック(0) |
待つ力

教育においては「待つ力」って、とっても大切ですよね。赤ちゃんは、その子にとって適切な時期が来たら立ちますし、歩き始めます。話し始めもします。もちろん、あまりに遅いならば、それは医師に診ていただく勇気も必要でしょうけれど。


けれど親というものは、つい「早く」という心を持ってしまいがちです。まるで早く何かできることが素晴らしいみたいに思ってしまって・・・。それは私にもよーく分かります。


海外に行けば、早く現地の言葉をマスターして欲しい、そして帰国すればしたで、早く日本語を他の子ども達と同様に、また日本の勉強にも早く追いついて欲しい、と。


もちろん親の期待は必要ですし、親子の努力も必要でしょう。けれど、「待つ力」も必要なんですよねー。                                              まずは子どもの気持ちの揺れを感じ取ることでしょうか。そして子どもの好奇心にしっかりと付き合って一緒に面白がると良いのではないかしら、と思います。海外って日本とこんなに違うんだー、日本って海外とこんなに違うんだー、面白いなって。


海外では日本では出会えない景色やモノに出会い、帰国したときは海外では本やビデオで聞き知っていたことを確かめる。ほんとに楽しい体験ですよね。                      そんな中から好奇心が生まれ、学びのモチベーションも湧いてくるように思います。


子育てにおいてだけではなく、現代の私達がつい見失ってしまう「待つ力」。メールの返信がちょっと遅いとイライラする人も少なくない時代。私たち自身が、もっとのんびりと悠然と暮らす術を身につけてこそ、子ども達も大きな器の人間に育つような気がします。


↑ これはせっかちな私への自戒の言葉でもあります。とはいえ、この頃、年のせいか、かなりノンビリしてきました。焦らなくなってきつつあります。お友達に紹介していただいた本のお蔭もあるでしょう。その本については、いずれゆっくり書きたいと思っています。

テーマ:関西の帰国子女受け入れ校 - ジャンル:学校・教育

【2007/10/08 23:09】 | 教育観 | トラックバック(0) |
聴く力って、とっても大事ですねー。

最近、特に思うんですけど、「聴く力」って大事ですよねー。                                                          お友だちが傾聴ボランティアをしていらっしゃって、「聴いてさしあげること」はお年寄りにとって、なによりも癒しになるように伺っています。                                     でも今、私が感じているのは、親が「聴く力」を持っているかどうかで、子育てはずいぶん変わってくるような気がするなあ、っていうことです。


また「聴く力」というのは子育てだけではなく、他の人間関係においても大切なんだなあ、って思います。難しいことは、本当に多々あるのですけれど・・・。


それに「聴く力」は夫婦関係においても大事なんじゃないかしら、とも思います。ちょっとおノロケに取られると困るんですけど、うちの夫は本当に物言わずなんで(家族に対してだけ。外では愛想がいいんです。困ったもんです・・・)、コミュニケーションが取れているんだか、取れていないんだか、分からないことがあります。でも、ふとした時に、「ちゃんと私の言ってたことを聴いてくれてたんだ」って気付くときがあります。ただ単に聞き流しているんじゃなくて、受けとめてくれてたんだな、って。そして、その時は有り難いな、ってちょこっと思うんです・・・。


この秋の私のテーマは「聴く力」でしょうか。ついこの前までの私のテーマは「待つ力」でした・・・。(今も完全にその力を体得したわけじゃありませんけど)

テーマ:子育て・教育 - ジャンル:学校・教育

【2007/10/01 15:31】 | 教育観 | トラックバック(0) |
またまた、ぴっかりさんのブログ

どちらかというと、小さい子どもさんをお持ちのお母様へ、


海外で子育てするお母さん、相談する人が身近に居なくて大変かもしれません。  今はネットの掲示板もあって、少しはラクでしょうか。でも情報に刺激されすぎて負担になってしまうってこともあるかもしれませんね。


ぴっかりさんのブログ、参考になることがあるかもしれません。                   覗いてみてくださいね。


(1)「抱きしめてあげて」というCMに苦しんだ母親 http://pikkarisien.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/cm_875c.html                                             
(2)「親になりきれない親」と、「親になりすぎている親」 http://pikkarisien.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_d39c.html                                                       (3)「母親らしさ」「父親らしさ」が失われたわけ http://pikkarisien.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_3ac7.html

【2007/09/16 00:00】 | 教育観 | トラックバック(0) |
大学進学もいいけれど。

多くの海外子女・帰国子女をお持ちの御家庭では、少しでも名のある大学へ進めることをまず考えることが多いものです。もちろん、それは現在の大衆化した高学歴社会では当然のことでしょう。


でも、今日、私がお会いした方のお嬢さんはバレエの道に進まれたと仰っていました。今はバレエ団の団員となって、公演を主になさっているそうです。プリマまでの道は遠いようですが、地方公演にも出かけ、充実した日々を送っていらっしゃるとのことでした。


妻子を養う義務があると考えられている男子と違って、女子の場合にはより自由があるのでしょう。女子が、自分と子どもを養う力を持とうとすることは大いにあるでしょうけれど、夫と子どもを養おうと考えておく必要はあまり感じないせいもあるでしょうね。


結婚すればバレエで鍛えた技術で、スポーツ施設やカルチャーセンターで教えたり、将来はバレエ教室を主宰することもできるでしょう。またたとえ趣味となっても、体を動かす楽しい趣味になると思われます。


男子が芸術をやっていくのは、ちょっと覚悟が要るかもしれませんねえ。でも、どうしてもやりたいと思う人には、ぜひ頑張ってもらいたいなあと思います。一時的には二足のわらじを履く必要があるかもしれませんけれど。(私自身は男女とも共に働くことに賛成ですし、男性だけがそんなに負担感を抱く必要はないと思っていますけれど・・・)

【2007/09/02 23:41】 | 教育観 | トラックバック(1) |
「正しさ」と「優しさ」  −訂正版ー

親野智可等先生のクイズの記事に対する疑問が、お仲間から来ましたので、私の言わんとすることが、うまく説明できていなかったのかしらと思い、以下、ちょっとだけ書き直して、追加もしてみました。


ーーーーーーーーーーーー


私が共鳴する親野智可等先生の面白いクイズがあります。(時々、意見が違うこともあるのですけれど、共感することも多いです)


それはコレです→ http://education.mag2.com/oya/


子どもに人間としての優しさを伝えるには、親がそれを子どもに与えてあげることが大切、というのは本当にその通りではないかしら、と子育ての経験を通じて感じます。もちろん、調子の悪いときはお母様が席に座るということもあっていいのです。年齢によるとは思いますが、子どもの体を鍛えるためには、立たせておくほうが良いという考え方もあります。また席を譲ったり、椅子を引いたりなど欧米男性の女性に示す紳士的なふるまいは素敵です。それが自然にできる帰国男性はカッコイイとも思います。                                                          けれど日常生活のいろいろな場面で、親の子どもに対する思いやりを示すことはできると思います。(ここでのバスの席はあくまで一例。あまり良い例ではないかもしれませんね。もっと良い例も以前、出ていたように思います)


ここで私が申し上げたいと思うのは、愛情を与えられた経験、してもらって嬉しいという経験が、他の人にも思いやりを示せる人間としての土台を築くのではないか、ということです。必ずしも親によって示されたものでなくても、愛情を感じて感謝する経験が大切なのでしょう。けれど、身近な親が与えるものは大きいと思います。それが親野先生の長年の教師生活から得た知見なのだろうと思います。                                                                  


一見「正しい」ことを押し通すというのは、子どもの心の暖かさや優しさを育めなくなることもあるように思います。そして本当に正しいことはどういうことなのか、という思考力も停止させてしまいます。                                             なにが「正しい」なんて決まったことはないのですよね、きっと。では何を大事にするか、という価値観になってくるのでしょうけれど、私は人としての思いやりは大切だと思いますし、それは自然な感謝の気持ちから育まれていくんだろうな、という気が私もしています。

テーマ:子育て・教育 - ジャンル:学校・教育

【2007/09/01 23:55】 | 教育観 | トラックバック(0) |